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富士山は日常!

静岡県のシンボルであるのはもとより、世界に誇る日本の象徴である富士山。2013年6月には、「富士山-信仰の対象と芸術の源泉-」の名称のもと世界文化遺産に登録されました。
新幹線からきれいな富士山が見えると、なんだかいいことがありそうですよね。SNSに自慢げにアップする人もたくさんいます。気持ち、わかります!
でも、静岡に住む多くの人にとって、富士山は日常。1年中、朝から晩まで、そのときどきで表情を変えながら、その生活に寄り添います。

今回は、知っているようで、知らない富士山について、さまざまな側面からひもとくとともに、静岡に住む人と富士山とのエピソードを綴っていきましょう。

静岡県と山梨県にまたがってそびえる富士山は、日本最高峰(標高3,776メートル)の活火山。今から約7万年前(諸説あり)に活動を開始し、噴火を繰り返すことで、現在のように、広いすそ野から立ち上がる独立峰と優美な円錐形を有するようになったと考えられています。

さまざまな伝承が残されているのも歴史ある富士山ならでは。たとえば、聖徳太子の一生を記述した『聖徳太子伝暦』(重要文化財、興福寺蔵)には、27歳だった聖徳太子が、神馬“甲斐の黒駒”に乗り、空を飛んで富士山を飛び越えたという記述があります。

日本最古の物語とされる『竹取物語』には、猛アプローチをかけたにもかかわらず、かぐや姫と結ばれることができなかった帝は、「かぐや姫のいないこの世では永遠の命など必要ない」とひどく落胆し、「一番高い山」に出向き、月からの使いによってもたらされた不老不死の薬を焼いてしまいます。その山こそが「不死の山」だったというわけです。


富士山ほど多くの画家に描かれた山もほかにありません。筆頭に挙げられるのは、やはり葛飾北斎の「冨嶽三十六景」と、歌川広重の「東海道五拾三次」「不二三十六景」ですよね。季節や場所、時間によって姿を変える富士の姿をとらえた、北斎の「冨嶽三十六景」は、ゴッホやドビュッシーなどといった、海外の芸術家にも多大な影響を与えたと言われています。

日本にはその昔から山岳信仰がありますが、日本で最も高くそびえる富士山に対する信仰は、その代表的なものといっていいでしょう。いにしえの人々は、富士山を神が宿る山として畏れ、噴火を鎮めるべく、富士山の麓に浅間神社を建立。平安時代後期に噴火活動が沈静化すると、富士山は「修験道」の道場となり、江戸時代中期には、江戸を中心に、富士山を信仰する「富士講」(ふじこう)が大流行。さらに多くの人々が巡礼を行うようになりました。

 そんな霊山であり、世界遺産でもある富士山。まるで絵に描いたように美しく見えるシチュエーションは静岡ではごく当たり前の日常なのです。

 徳川家康が1585年に築城し、晩年を過ごした 駿府城の城跡を整備した「駿府城公園」からも美しい富士山がのぞめます。そして、忘れちゃいけないのが、日本武尊(やまとたけるのみこと)伝説にその名が由来する「日本平」。静岡県静岡市の駿河区と清水区の境界にある標高307mの丘陵地です。茶園や清水港越しに富士山を仰ぎ見ることができる、静岡県ならではの富士見スポットであるとともに、ここからの夜景は「日本夜景遺産」にも認定されています。世界遺産の構成資産のひとつとして登録された「三保松原」は、万葉の時代から知られる景勝地。白砂青松にそそり立つ富士山を見ようと、多くの人が訪れます。東海道三大難所の一つとして知られる由比町と静岡市の境、駿河湾に突き出した山の裾にある「薩埵峠」では、広重が「東海道五拾三次」で大胆に表現した絶景が楽しめますよ。

そんな富士山はいつだって静岡に住む人たち共にあります。彼らは口々に言います。
「そもそも静岡県民にとって富士山は眺めるもの! ただその眺めるという点においてのロケーションが抜群」や「根拠はないけれど守られている感じで心強い」、「自分たちの県のシンボルが、日本のシンボルでもあると知った時は震えた……」などなど。
静岡に住む人たちにとって、富士山は欠かせないものであると同時に、ごく当たり前に存在するものなのですよね。静岡市の学校の多くの校歌に、「富士山」、あるいは富士山の別名である「芙蓉峰」、はたまた富士山をイメージする言葉が登場するのも、そのことを裏付けるエピソードです。
静岡市近郊で育った人の多くは、幼稚園や小学校で、富士山に行ったという思い出を持っているようですが、「富士山の裾野の牧場で、動物とふれあったり、バター作りをしたりしたことが今も鮮明に記憶に刻まれている」、「静岡市内では雪を見たことがなかったため、富士山のふもとで初めて雪で遊んで楽しかった」、「こっそり溶岩石を持ち帰った」という話を聞かせてくれた人もいました。「旅行して帰ってきたとき、富士山が見えると心が落ち着く」という帰宅時エピソードを教えてくれた人も。
そんなたくさんの声の中で最後に、うらやましいのをひとつご紹介。

「朝、目の前の富士山が綺麗にみえると、一日清々しい気持ちで過ごせる」

富士山とともに生きることってこういうことなんですよね。